「荒木経惟の写真術」


荒木経惟の写真術 (フォト・リーヴル (05))

荒木経惟の写真術 (フォト・リーヴル (05))


さらっと読める本。
3人の若手写真家がアラーキーにインタビューする形式になってる。
基本は写真術がテーマのようであるが、
話は色んな方向に飛び交う。
思いつきで、どんどん言葉が出てきてるかのようにだが、
語る内容どれもが本質を付いている。
と同時に引き出しが豊富であることが
ひしひしと伝わってくる。
彼は天才かつ努力家なのである。


インタビュアーは
笠井爾示、ホンマタカシ、ニック・ワプリントン。




笠井爾示はまず
アラーキー電通時代に実験的に撮っていた
ポートレート「ジャンヌ」を持ち出し
その背後にあるものを探っている。
カール・テオ・ドライヤー監督の
裁かるるジャンヌ」から色々と話が広がっていく。
ロベール・ブレッソン*1の「スリ」など
気に入った映画のイメージがストックされてるらしく、
写真を撮っているとそうしたものが現われてくるらしい。


裁かるるジャンヌ」がゴダール
女と男のいる舗道」で引用されている話で、
次のようなくだりがある。
『うん、オマージュしてたね。アンナ・カリーナが映画館に入ると、この映画やってて、ファルコネッティのクローズアップを見てアンナ・カリーナが泣くんだよね。その泣いてる顔をゴダールがクローズアップで撮ってるわけだ。なかなかやるんだよ、あいつも(笑)』
なかなか言えないよ、こんなこと。


またアーヴィング・ペンとリチャード・アドヴェンが
ファッション雑誌の双璧「ヴォーグ」と「ハーパース・バザー」で
競い合っていた頃でその影響もあるようである。


電通の頃は仕事とは別に必死に写真の技術や
資料を読み漁ったりしていたのが伝わってくる。


また、アイドルを撮る仕事など、頼まれ仕事について
当然商業的な要求もあるが、
そういうのもカメラのフレームと似たようなもので
条件や制約はつきもののことで関係ないと言っている。
どの世界も同じようだ。


被写体や気持ちによって
レンズやフィルム、
そしてカメラが違ってくるようである。
その選び方が述べられている。
技術的にというよりは、
ほとんど感覚的なものであるが、
すごく説得力がある。
写真の「術」というのはカメラにあって
ただ選ぶだけなのだそうだ。


第2講はホンマタカシ
「東京郊外」や「偽アラーキー」から話が始まる。
アラーキーはホンマの写真を見て
写真にしすぎているという。
その言葉には
アラーキーの写真、あるいは写真家としての
姿勢が垣間見える。
彼はあえて撮りにくいカメラを使って、
そういった写真としての形式をはずしていく。
フレーミングよりも、そのときのコトっていうか、現場を優先する。』


ニック・ワプリントンは
きっと真面目な人なんだろう、
質問が全体的にちょっとかたすぎる感じ。
しかし、ところどころ、鋭いものもあって
『きっと写真術っていうのは、人生術なんだよ』
という言葉を引き出している。


最後にモデレーター八角聡仁との対話で
「センチメンタルな旅・冬の旅」について語られている。
写真集として一枚一枚に込められているもの、
また全体の関係が
実に深いものであることが分かる。


最近すっかり写真への熱も冷め切っていたけど、
なんだかまた撮ってみたくなった。


★★★☆☆

*1:著書「シネマトグラフ覚書」はアラーキーの愛読書