「東京・パリ・ニューヨーク ファッション都市論」南谷えり子・井伊あかり


東京・パリ・ニューヨーク ファッション都市論 (平凡社新書)

東京・パリ・ニューヨーク ファッション都市論 (平凡社新書)


パリ、ニューヨーク、東京のファッションの歴史や状況を概観したあと、ファッションと都市の関係を主に文化的側面から多面的に読み解いていく。前半はファッションブランドや業界特有の話でイマイチ興味を惹かれなかったけど、後半、徐々に都市との関係が掘り下げていかれるところは興味深く読めた。




まずファッションについて次のような定義が示されている。
『ファッションとは新鮮な“いま”という一瞬であると同時にじわじわと浸透していく継続する時間の厚みを持ち、他者との差異化の手段であると同時にそれを模倣する集団がなくては成り立たないという、多義性と矛盾を孕んだ自己同一性(自分らしさ)獲得の願望だということになる。
ファッションとは集団から突出したい欲望と模倣されたい欲望、模倣したい欲望と差異化の欲望とがせめぎ合いつつ、他者と共有する価値観の中にある。その価値観は、都市ごとの文化や志向の独自性に負っている。』


パリ・・・
フランスではファッションの文化的地位も高く、輸出産業としても重要であり、国家的支援も充実している。パリコレに代表されるように、ファッションは常にパリから発信されることで「ファッションの都」としての地位を保ってきた。パリでファッションの根底にあるのはクリエイションである。
しかし実際パリの住人たちは、ファッションとは対極にある「シック」という美意識を持っている。ここで筆者は『ファッションとは、意味を消費し、変化することだと捉えてきた。とすると、「変わらない」とは、すなわち「スタイル」とはもっとファッションから遠いということになる。<中略>「シック」とはシンプルであること、「シック」とは<なる>ものではなく、<である>ところのものであること、「シック」とはスタイルを持っていること。』と述べている。
最先端の流行を生み出すパリの裏側には、流行に流されないパリの住人たちが住まうという不思議な構造がある。


ニューヨーク・・・
ニューヨークがファッションの飛躍を遂げるのは、バブル期のキャリアウーマンが台頭してきた時期である。それまでヨーロッパから輸入されていたファッション文化は、時代背景をもとに仕事のできる女性に向けられたファッションが主流となる。それは機能的であり、また着回せるように目立たないことも必要であった。
そしてマーケティング志向が強いことも大きな特徴である。クリエイティブ・ディレクターという形で、店舗デザインから、宣伝広告、包装紙まで、トータルなコーディネートのもと、統一したブランドの雰囲気やイメージを確立させることで、生活シーンを表現し、ライフスタイルそのものを提示していく戦略である。今では当たり前のように行われていることである。
デザインそれ自体ではなく、ブランドロイヤリティを高めることで成長してきたのがニューヨークファッションである。



東京・・・

東京のファッションを見る上でまず表参道界隈を上げている。現在、表参道には大きく三つのエリアがある。根津美術館から青山通りまでの国際派東京デザイナーエリア、青山通り明治通り間のLVMHに代表される表参道メガブランドエリア、そして裏原宿エリアである。
雑誌「アンアン」が創刊され、ファッショングループTDC(コシノジュンコ山本寛斎ら)が活動を始め、この地域一帯がファッション化したのは1970年代からである。コムデギャルソン、山本耀司三宅一生のスタイルもここから生れている。
一方、裏原宿は90年代前半から、若手デザイナーやオーナーが自身の好みに合うものだけを厳選して小さな一室に並べていく。彼らの本業はまたDJやモデル、スタイリストなどだったりしていて、文字通り趣味的なスタンスで店を構えていた。そのため音楽、デザインなどサブカルチャーと連動していた。また、雑誌メディアとの関係も密接でライフスタイルそのものと強く結びついている。
このような特定の地域(ストリート)に集まる若者から自然発生的に現われた族(ストリート)ファッションは、たけのこ族、カラス族、渋カジ、チーマーなど独自のスタイルを生み出している。
90年代以降、東京のファッションをリードするのは、男性向けが裏原宿だったのに対し、女性向けは渋谷109に代表されるギャル系ファッションである。
渋谷は70年代以降、セゾングループのパルコ界隈、さらに80年代半ばのDCブームによってファッション化し、一時衰退するが、再びファッションの「渋カジ」音楽の「渋谷系」として注目を集める。90年代以降は渋谷109を中心に「コギャル」ファッションとして渋谷は若年化している。
ここに集まる若い世代の少女たち、『彼女たちの感性が、ある意味で現代日本の文化をリードしており、海外の視線もそこに集中している』のである。そしてそれが「カワイイ」という感性なのだ。
というような大まかな東京の現代ファッションの系譜が示された上で、次のように現在の東京のファッションの特徴を描き出している。
『「kawaiiカワイイ」この言葉が示す感性は、現在日本の日常風景となって、キャラクターの描かれたキャッシュカードから、航空機のデザインに至るまで、あらゆるところに溢れかえっている。そして、このkawaiiという言葉が海外でも注目を集め始める。<中略>kawaiiをフランスの「ル・フィガロ」紙は<中略>幼さや小ささを愛でるキュートでもなければ、ロリータでもない。この形容詞は単にモノに使われるだけでなく、考え方、話し方、振る舞いすべてに用いられ、ある意味で最高の褒め言葉だ。いとおしさを起こさせるさまざまな感情のすべてをひっくるめたものが、「カワイイ」という表現だと解説している。この感性は欧米にとって新しい発見だった。』
『東京ではファッションは記号的としての意味を持たず、コンテクストを欠いた現象でしかない。迷彩服には、反戦も戦争支持のメッセージもない。しかし、その薄っぺらな浅さが、一方では「意味の呪縛から解放された軽やかさ」という東京のストリートファッションの特質となり、海外から驚きの目を持って見られる新しさとなる。<中略>東京ではファッションが富や権威の象徴などではなく、単に特定の地域に集まる若者たちの共通言語や符丁としての役割しか担っていない。ファッションが人種とか出身階級に関係がないということは、政治性や思想性とは無縁にあることを意味している。記号の呪縛から逃れ、象徴性も意味性も失ったファッションは楽しむためだけのものに過ぎない。それはある意味では、ファッションのもっとも素朴て本来的な姿だ。<中略>意味という重しを失い、すべてが等価となり浮遊する都市の姿。それはどこか村上隆の提唱したスーパーフラットな世界観に通じるものがある。奥行きもボリュームも持たずに、中心性も重力も持たない平面構造の絵画』


ファッションから都市へ・・・
最後のまとめの章で、都市に集まる人々が都市の景観をつくり上げていく、ファッションが都市景観の最小単位であるという考え方は面白いと思った。都市が人々の生活を規定しながらファッションを生み出すのとは逆に、ファッションが都市の個性を生み出していく。森川嘉一郎著「趣都の誕生」に通じる考え方だ。
世界中同じようなものが流行ってもおかしくない状況の中、それでも都市によってファッションは異なり、したがって都市の個性も異なってくる。
ルイ・ヴィトンのように、すべての都市で、同じ製品をそれぞれの都市のもっともファッショナブルな位置付けで展開しているメガブランドが、それぞれの都市によって違った受け止められ方をしているという事実。これがファッションを捉える都市の感性の違いにほかならない。東京では、もはやルイ・ヴィトンに老舗の伝統を感じ取る人は少数だろう。マーク・ジェイコブスがデザインして、村上のモノグラムがついたカッコイイバッグなのだ。<中略>しかしパリでは違う。村上がカラフルなモノグラムを作ろうと、老舗は老舗だ。都市という環境がファッションの独自性をかたちづくり、そうして生まれたファッションが今度は都市の個性を仕上げるのだ。』


ファッションを通して都市を見る、新しい都市の捉え方を示してくれたような気がする。


※『』内引用文


★★★☆☆