・「CODE」ローレンス・レッシグ翔泳社
・「多重人格探偵サイコ田島昭宇大塚英志
アーレントの「人間の条件」では人間の社会行為を三つのレベルに分けている。アクション(活動)、ワーク(製作・仕事)、レイバー(労働)であるが、ワークとレイバーは匿名的な行為であり、アクションに関わったときだけ人は固有名をもつ存在になる。
現代社会では見えない、気づかないところで多くの自由が奪われているという。社会的な管理システムによるものだったり、実は自己規制によるものだったりする。見えない不自由、意識されない不自由。カフカの「掟の門」の自己規制もこれに相当する。
・動物的、アクティブな消費というのは批評行為を不可能にしてしまう。作品の消費の根拠が身体的な快楽にのみもとづくようになると、批評行為の許容度がきわめて低くなる。例えばハリウッド映画は、映画を観て、2時間程の時間を楽しめたか楽しめなかったかということが絶対的な基準になっていく。音楽や文学、文化一般がマクドナルド化している。
・例えば集合住宅の設計では、不動産的なデータベース化された要望、例えばワンルーム25?以上とか、南向きとかにしておかないと、検索にヒットしないという理由で設計を求められる。つまりこうしたネット環境の整備によってデータベース化された社会が住環境までも支配してるのだと思う。(戦後日本の集合住宅の代名詞である公営住宅「51C」はこれに対してある種「第3者の審級」によるものになるのだろうか。)