「天才アラーキー 写真ノ方法」荒木経惟


天才アラーキー 写真ノ方法 (集英社新書)

天才アラーキー 写真ノ方法 (集英社新書)


「肩からカバン掛けて撮っちゃダメなんですよ。
これは基本だね。
ハダカで、肌身でやんないと。
写真を撮りにきました。っつうんじゃなくて、
街に溶け込むっていう感じ。
忍者になるか、撮っているっていう自分の姿をわざとさらけ出すかのどっちか。
・・・特にいけないのは、釣りに行くようなチョッキ。
ポケットがいっぱいついているようなチョッキ着てるのはダメだね。
ああいうのは写真、写りません!ハハハハハ」


いきなり、あのアラーキー節で、
写真を撮るときのファッションの話から始まって、
「写真っていうのは関係の問題だってこと。」
と、さりげなくも、しっかりと本質を言い当てていく。




写真ノ方法っていうタイトルになってるけど、
技術的な話はほとんどなく、
写真を撮るときの姿勢や写真に対する思いなんかが、
冒頭からハイテンションのまま、最後まで一気に語られる。


これを読めば、彼の生き方そのものが写真であり、
写真=アラーキーを見事に体現していることがわかる。


そして、その口調とは裏腹に、
真面目に写真と向き合っているんだなぁと思った。
少しだけ天才の頭の中を覗けた気がする。


ちなみにこの本、内容は良いんだけど、
表現にかなり下品なところがあるので女性には薦められませんが。


以下、印象に残った言葉等。


「画面上にピントを合わせるっていう気持ちじゃダメなんだよ。
そのときの気持ちとか心、
そのときのモノやコトにピントを合わせるつうことが大切なのよ。」


レンズに頼らず、体でズームすること。


「『俺が歩いて通り過ぎた後には、
鋭利な刃物で切り取ったような四角い穴が
街中いたるところにあいている』
な〜んて言ってたくらいなのよ。
それくらいフレーミングにはうるさかったの、私は。」


「いかにして完成しないかっていうことですよ。
・・・完成っつうのは止まっちゃうことで、それは死だから。」


「ストロボの光、作為の光というのも真ですよ、
天からの光だけじゃなくてね。
・・・自然の光が神のあれだとしたら、
人工の光は雑音という光でしょ。
それがないと、おちつかないんだ。」


「写真はあくまで具体だし、具象だし、現実っつうようにいきたいの。
ダメですよ、精神の抽象にいっちゃ、もー」


「いや〜ね、理由なんてないの。
理由なんてそれだけさあ。
だって、理由って、そういうもんだろ?」


「ファインダーを覗いて、シャッター音が連続するでしょ、
そうすっと、その音でなんとなく無に近づく感じがするの。
シャッターを切りつづけているとね、その音が止まるのよ。
それは死に近い瞬間だと思うんだけど、
その死と生の間を行ったりきたりするのが写真でしょ。」


「写真は現実を見せられないっつうことですよ。
写真と現実は違うだろ?
写真は現実に触発された何かなんだな。
嘘つきの(ほう)が現実に近いってことがあるからね。
現実は幻実です。」


★★★★★