Space for your future展 東京都現代美術館


に行ってきた。
都営地下鉄菊川駅から三ツ目通りを歩いて15分のところ。


間違って反対方向に歩いてしまって、
途中気づいたけど、
学生時代住んでた錦糸町のマンションが近くにあったので
10年ぶりくらいに行ってみた。
ほとんど変わってないみたいだったけど、
商店街が妙に寂れていることと、
周囲に工場(こうば)っぽいところが
これほど多かったことに初めて気がついて驚いた。
東京に出てきて初めて住んだところだから、
東京ってそんなところなのかと思ってたけど、
東と西でこんなに違うものかと。
あとは、
よく行った隣の中華料理屋がそば・うどんの店になって、
ちょっと悲しかった。ノスタルジー


それはいいとして、美術館へ。




様々な分野の空間をテーマとして扱った作品、
ということだったけど、あまりその意図は感じられず。
バラバラ。
最先端、有名どころを集めたといった感じ。
タナカノリユキの沢尻エリカ百変化のどこに「空間」があるのか。。。
それでも、それなりにボリュームがあったのでまあ、満足した。
ただ、いつものことながら、
こういう展覧会を見てると何故か頭が痛くなる。
なんでだろ。。。
いっぺんに新しい情報を頭に入れようとするからなのか、
(知恵熱みたいなもの?)
美術館の空気が合わないだけか?
テーマ(ストーリー)があるものとか、
同じ作家の展覧会だとそういうこと、
あんまりないような気がするけど。


建築家の作品もあった。SANAA石上純也、他。


SANAAの2分の1スケール模型、
といいながらも椅子が妙に小さかったりと変なところもあったけど。
プランのみ「建ち方」で
ここまで変化に富んだ空間がつくれるものかと感心。
周囲のガラス(アクリル?)が構造?


石上純也の風船。
これはどうなんだろ。
彼のやろうとしていることは
常にある過剰さが強いられているわけだけど、
何がやりたいのかはイマイチつかめず。
ただそれを行う技術には感服する。
(構造家、佐藤淳の力か?)
空間のイメージよりも
まずこの「過剰さ」が先行していることに
「建築家」としての彼に違和感を感じる。
もちろんアーティストであればすばらしいことなのだが。


印象的なのはフセイン・チャラヤンのLEDドレス。
実際の製作過程や、ファッションショーの模様もあって。
現実にこれが街中に現れたら普通にすごいことなんだろうなと。
現実的であるような、ないような。
また、建築と服飾の明確な境界線も感じた。
うまく言えないけど、
確実に建築が到達できないような世界があるというか。。


常設展も大分入れ替わってて、良かった。
<ポップ道>。今、この企画どうかと思ったけど。
それなりに並べられて、系譜として眺めると、
それはそれなりではある。


岡本太郎の異常な大きさの壁画。
石上純也の過剰さとは意味を異にするのだろうか。
あたりまえか。


豊富な量に
★★★☆☆