「写真との対話、そして写真から/写真へ」森山大道



70年代、80年代に雑誌や新聞などに掲載された文章をまとめた
「写真との対話」(1995年3月)と
「写真から/写真へ」(1995年9月)を合本したもの。
中の写真は入れ替えられている。


決して堅苦しい写真論ではなく、
むしろ日々の生活の中で、
どのように写真と向き合っているかを語った人生論である。




写真界のカリスマでありながら、
その悩める姿や不器用な自分を隠そうとせず
赤裸々に自身の姿を晒していることに好感が持てる。
また全体から、なかなかの文章家、読書家である事がうかがえる。


ただ挿入されている写真が文章に全くリンクしていないのが、
ちょっと残念。
(写真はあくまで独立したもの(イメージ)で、
文章を補完するようなものではないというスタンスか)


それにしてもアラーキーとは対極的な写真家である。
ほぼ同年代なんだけど、
この二人の経歴、性格、生き方って対照的なんだな。
むしろ森山大道の方が順風満帆にのし上がって来たイメージがあったんだけど、
実はアラーキーの方が大卒、電通を経てフリーと順調な道を歩んできてる。
それに対して森山大道は地道に修行の道を
こつこつと這い上がってきた感じ。
一匹オオカミ的である。野性的であるといってもいい。


しかしなによりの違いは
常に写真の意味に苦悩しながらも、撮り続ける(しかない)森山大道に対し、
アラーキーはその意味において悩みを知らないことである。
どちらが正しいというわけでもないが、
出来上がる写真にはくっきりとその違いが現れる。


彼が撮る対象はほぼ決まっている。
東京、とりわけ新宿、渋谷、マネキン。
人物や自然に焦点が当たることはあまりない。
人物は都市に同化した物象に過ぎない。


ひたすら身の廻りにあるものから新しい発見と認識を繰り返し、
表現は後からついてくるものだという姿勢は
当初から全くブレることがない。


被写体を自ら選ぶというよりは、
視界に飛び込んでくるものに鋭い視線を向けて
フィルターですばやく切り取っていく感じである。
そしてすべてが光と影の記録として、
モノクロームのグラデーションに還元されていく。


★★★☆☆