「POST BUBBLE CITY」


アトリエ・ワン・フロム・ポスト・バブル・シティ

アトリエ・ワン・フロム・ポスト・バブル・シティ


たまには建築の本でもと読んでみました。
アトリエ・ワンは結構好きな建築家です。
同世代というわけではないけど、何か感覚的に近いもを感じる。


本のタイトルからして、都市について仰々しく語るのかと思いきや、住宅や小さな建築の問題を語りながら巧みに都市問題に視線を傾けていく。どんなに小さな建築を考える時でも常にそうした問題を背景に意識しているのが好感が持てる。
この本では直接的にも間接的にも都市を扱っているが、そこに真っ向から立ち向かうことを避け、むしろ、そうした都市の中でどう立ち振る舞うべきなのかを示した本と言える。見方によっては卑怯な感じにも思えるが、むしろ成熟した都市に生まれた世代としては当たり前の感覚なのかもしれない。そういった都市問題の扱い方に長けた著者が都市そのものを扱うようになった時どんな建築になるのか楽しみである。・・・あえてその領域には踏み込まないでいるのかもしれないけど。




以下、各章ごと特に記憶に残った箇所です。


「建ち方」
敷地にどう配置するかによって自動的に内部空間の秩序までが決まってしまう、そういう不自由さ。
建物の外殻を敷地境界に捉える。


「敷地」
敷地は<履歴>と<かたち>でできている。


「小」
東京の住宅ほど家具同士の距離が近いところはない。モノの向きと人の向きの調整はとても重要。
窓が作り出す向きが加わって小さな住宅の内部には色々な向きが溢れかえっている。
周囲の環境という外側のコンテクスト、住宅内部の向きという内側のコンテクストの間に「小」住宅固有の空間的展開がある。


「眺め」
そこにしかない固有の「眺め」
眺めは対象との十分な距離なしには成立し得ない。
「対象」×「距離」=「眺め」
眺めというのはある種の権力になる。
眺めが圧倒的になりすぎると、建築はそれに従って一方向になりやすい。
眺めが抽象的になればなるほど、空間の純度は上がる。
しかし眺めを条件の一つに加えて、複雑化したその方程式をうまく解いて行きたい。


「習慣的な要素」われわれが内面化した振る舞いの規範は、文化的・社会的に、つまり歴史的に構成されたものですが、逆説的にこれが風景の未来を左右する、日常に繰り返されるベーシック・プログラムの骨にもなります。
風景が壊れていくということは、その場所での振る舞いの反復が意味を失っていくということ。


「向きの合成」
向きというのは、モノの形をとって日常の中に埋め込まれているので、その合成は習慣の次元に触れることになる。


「マイクロ・パブリック・スペース」


「フラックス・マネージメント」
問題は同じでも、扱い方の違いで独自性を出す。


「隙間」
隙間がどうしても生じてしまうことを、設計の出だしのところにフィードバックするというのが、既存の都市の新陳代謝として、そのほんの一部分に過ぎない小さな建物を設計するときの戦術。
正面から見ると一つのイメージでも、ちょっと斜めから覗けばいくつもの条件が重層する関係性が見え、その関係性を組み替えていくことで同じ条件から違うイメージを作り出すことができる。(※2)


「ハイブリッド」
同じ建物に収まることによって、それらが生態系のようにみえる。つまり環境をシェアしているように見える。


「領有」
「つくる」と「つかう」の関係。
形態と機能の関係にない時間の感覚。
使い続けることによってしか生まれないような空間の質を、つくることにフィードバックすること。空間の質を構成によってとらえるのではなく、何かに領有された光景として捉えること。
職人の作業場。必然的に求めた物のレイアウトや空間の使い方が持つ、内部からの支えを持った美しさ。領有の光景。


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